自己紹介

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住民代理店BOB(Break Occupied Barier)代表。自転車で俳諧するおっさん。ミッションは誰かさんを輝かすこと。

2009年7月31日金曜日

基本的姿勢

今日の天声人語。

石川遼のことば
「風にボールが負けたというより、僕の基本的な姿勢というのがこの風にかなわなかった」

17歳の言葉とは思えない。

凄い…。

全英オープンで何かを体得したんだろうね。

昨日の小樽の試合。
いい顔して回っていたよな~。

腹が据わった。
性根が入った。

そういう顔だった。

宮里藍もそんな顔してた。

腹が顔を作るんだな。

見習わなくては…。


    蝉の腹空っぽなのでよく響く

    若武者の頬に涼風正念場

    戦いは自分の腹に蝉の声

    空蝉の命羽ばたく朝の空

    手加減も躊躇もせずに朝の蝉 

    最初からフルスロットル朝の蝉

    雨樋の中でじたばたしてる蝉    基風


      
    

2009年7月29日水曜日

芝刈り

ゴルフが好きだった親父。
狭い庭に芝生を植えた。

親父は死んだが、
芝生は生きている。

夏の雨と日光で芝生は伸びる。
雑草も伸びる。

剪定ばさみで刈ってやる。
こういう作業は好きである。

複雑なことは何も考えなくていいから。
根が単純だからね。

作業は単純だか
頭にはいろんな思いが生じてくる。

ふと、これは親父の散髪だなと思った。

刈った草が
ゴミ袋いっぱいになった。

庭の風が涼しくなったような気がした。



      散髪を終えて父さん涼しげに

      目の前の草を刈るただ一心に

      良心も邪心も共に草を刈る

      草を刈るどうせこの世はそんなとこ    基風


                   

2009年7月27日月曜日

ツール・ド・フランス


23日間。
距離3300km前後、高低差2000m以上。

私の最長走破距離130km。
淡路島一周。
翌日は足腰が立たなかった。

人間じゃねー。                                  

日本人が二人出場。完走した。
別府選手と新城(あらしろ)選手。

別府選手には会って話したことがある。
ナイスガイであった。
腹筋を触らせてもらった、皮下脂肪がなく、しなやかな肌触りだった。

遼君も英語でインタビューを受けていたが
彼らはフランス語である。

藍ちゃんも優勝したし
みんな頑張ってるな~。


     シャンゼリゼ坂を登れば夏の空
※フランスに俳句があれば
ツールドフランスは夏の季語になっているだろうね。絶対。

    

2009年7月26日日曜日

スコール

関西スーパー稲野店に買い物に…。
開店とほぼ同時に入店。

冷やし中華と餃子の材料を買って
店を出ようとしたら…。

入り口付近に人だかり
何?

と思って外を見ると…。

どえりゃー雨ふっとるでねーの

家を出る時雲行きが怪しかったので
防水ジャンパーは持っていた。

小降りになったのを見計らって
自転車で帰ることに…。

あかん。
一瞬にしてずぶぬれに。

熱帯のスコールって
こんなん?

温暖化の影響かな?

     
        
    夕立の出番狂わす温暖化   基風

    

2009年7月24日金曜日

産業革命の後始末

枝廣淳子さんのMLから送られてきた論文です

今私たちはどういう状況にあるのか?
「産業革命の後始末」
分かりやすい表現ですね。

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「産業革命をリセットする -低炭素世界の到来-」

西岡 秀三 独立行政法人国立環境研究所

○なぜ今気候変化対応か

気候変化だけが問題ではない。世界には貧困も飢餓も不公平もある。確かにそのとおりである。
それにもかかわらず、気候変化を今世紀の大問題として取り組もうとしているのはなぜか。
それは、気候変化への対応が、われわれが将来世界へ向かうために
心得ねばならない要素をほとんど持っているからだ。

いま気候変化の問題をきっかけに、
世界は、貧困、飢餓、不公平への解決策を模索しているのである。
世界はいずれ自然環境資源のカベにぶちあたり、
自然と共生する持続可能な定常化社会に向かわざるを得ない。

われわれは宇宙船地球号の住人であり、公平性を考えた相互協力なしには生きてゆけない。
そこには競争社会と正反対の秩序がある。早くのぞましい社会像をみなで共有し、
それに向けての道筋をバックキャストで向こうから考えてみる必要がある。
そうした将来を変えてゆく試みの第一関門、そして最初のチャンスが気候変化への対応なのである。

○すでに定常化社会へ入った

温暖化の問題は決して一時しのぎで解決するものではない。
研究が進めば進むほど、この問題の大変さがわかってきた。
大気中に温室効果ガスがたまり続けていく間は、気候変化はますます激しくなってゆく。
このままの排出を続けてゆけば、
海水面がグリーンランド氷床の融解でゆっくりだが確実に数メートルまで上がってゆく、
それ以前に南極氷河のすべりだしで急激な上昇が起きる、
凍土が溶けて地中のメタンが排出し温暖化を加速する、
といった大規模変化の可能性が増えてゆく。

今人間活動から大気中に出している二酸化炭素は70億トン(炭素換算)ほどで、
このままでは今世紀末には2倍以上に増える。
ところが地球の吸収能力は30億トンぐらいしかない。
悪いことにその吸収能力は、温度上昇とともに減ってゆく。
これまで吸収してくれていた森林が枯れてゆき、
土の中で有機物が分解して二酸化炭素を出し始める。

海水温度が高まると、
ビールをあたためたときのように二酸化炭素が出やすくなって海の吸収能力が減る。
だから何度か上昇したところで濃度を一定にとめようとしても、
減ってくる吸収能力にあわせて排出量をさらに減らしてゆかねばならない。
いつかの時点で人間が出す温室効果ガスを、
少なくとも地球が吸収できる量にまで下げなければならない。

さしあたり今の吸収量以下にしなければならないし、
これから100年程度の間にほとんどゼロにした低炭素社会にしなければならない。

なんとこのことは、
H. E. Dalyのいう「持続可能な社会経済は、
すべての資源(化石燃料)利用速度を、
最終的に廃棄物(二酸化炭素)を生態系が吸収しうる速さまでに制限する。」に合致する。

われわれはまさに今持続可能な社会の入り口にいる。

○宇宙船地球号のガバナンス

安定した気候は、誰でも享受でき、誰にも使うなとはいえない地球規模の公共物である。
今それを使う権利、すなわち温室効果ガスの排出量をどう配分するかの交渉が、
気候変動枠組み条約の下で行われている。

今の時代エネルギーは必要不可欠であるから、
限られた資源である「安定な気候」の使用権配分を如何に公平に、
みなが納得ゆく形で配分出来るか。

将来、あらゆる自然環境資源が不足するときにその配分をどうするかの智恵を
まさに今出し合っているのである。

気候変動交渉は生存をかけた公平性を問う、
宇宙線地球号内での限られた資源の配分である。
フリーライダーは共倒れのもとであり、
決して許されない。

ここでの第一の倫理は、フロンティアを目指した勝ち抜き競争ではなく、
相互に張り合う中での協力である。
ここで生まれる地球の新しいガバナンスは、将来の持続可能社会をリードする。

○道筋はバックキャストで

低炭素社会の行く先は持続可能な社会である。
その姿は定かではないが方向は見えている。
ただしそこへの到達にはなかなか困難な道のりが待っている。
これまでのカウボーイ経済では、
ひとりひとりが好きに振る舞うことで世界のフロンテイアが拡大してきた。
先はむしろ見えないほうが夢が広がる。

しかし今度はなんとしても到達せねばならない道なのである。し
かも時間制約が気候変動防止にはある。
危険なレベルまで温度上昇がすすまないうちに、
生態系が維持されているうちに、
温室効果ガス排出をある量以下に下げなければならない。

そこへ到達するには、将来の共通の望ましい世界から今を見返すバックキャストで、
限られた手持ち資源を最大活用して最短の道を選ばねばならない。

○産業革命をリセットする

低炭素社会の実現は大変なことである。
産業革命を逆行させる話だからだ。

産業革命以降の社会は、はじめは石炭、
その後石油や天然ガスといった炭素分の多い燃料をエネルギー源として、
人の持つ力を何倍にも拡大してできた技術社会である。

身の回りを見回してみると、今はどんな技術にもエネルギーが使われ、
そして二酸化炭素を出している。

家庭にあるテレビやファックス、コンピュータは、
いつでも直ちに皆様のお役に立とうと24時間待つために
家庭電力の10%近い待機電力を消費している。

あふれるゴミの処理が身近な問題になっている一方で、
モノの製造や輸送には多くのエネルギーが使われている。

家庭が出す二酸化炭素の13%は食品から出ているが、
大地の恵みで育つべき農産品も、肥料や農機具で生産性を挙げ、
温室で季節知らずの生産をするために、大量のエネルギーを使う。
今の世界はエネルギー漬けである。

産業革命以前はどうだったか。
基本的に太陽の恵みから派生するバイオマス、薪、などを使っていた。
お日様と共に起き、自然の農業を主とし、木材で家を建て、すべて太陽の恵みの中で生きてきた。

そんなに多くの化石燃料は使っていなかったから、
大気中にすこし出した二酸化炭素は短期間に自然に吸収され、
大気濃度は元に戻っていった。

ところが産業革命以降はそれを大規模にはじめ、
しかも200年も続けてきたものだからたまりたまったものが減るどころか増えてばかりいる。

今それを元に戻そうとして、化石燃料を使うのはやめる、
吸収能力を高めるために木を植える、などを必死にやろうとしている。

今のわれわれは産業革命の後始末をしているのである。
産業革命、エネルギー技術のおかげで、多くの飢餓、貧困は解消され、
人間らしい豊かな生活を得たことは間違いない事実である。

だからこれからは産業革命以前の生活に戻るのではなく、
200年の間に培った人の智恵をフルに残したままここで昔の産業革命をリセットして、
低エネルギー・低炭素社会への新たな産業革命への道のりを探ることになる。



     

肩書き

P社で退職支援を受けた人たち。
それまで会社という大組織の一員だった人ばかり。

担当コンサルはSさん。
独立起業と田舎暮らし担当。

独立起業コースでは
居酒屋、パン屋、小料理屋、フラーワーアレンジメント、フットケア、デザイナーなど
田舎暮らしでは
長野で養蚕(天蚕)、島根で木こりなど

「退職」という縁で知り合った人たちですが
新しいことに挑戦していく前向きなオーラを皆さんお持ちである。

毎月一回グループミーティングをSさんが召集。
毎回新しい人が増えていく。

そこで、グループ化してみようという気になって
チームS関西(東京にも同じような人たちがいる)と命名して
連絡用のサイトを作った。

名簿も作ろうと、
フラワーアレンジのKさんが言ってくれた。

「原田さんの職種、何にしときましょう?」

そうそう、そこなんですよね。

なかなかいい名前がないんですよね。

アドバイザー、コンサルタント、プランナー、エージェント、サポーター、ヘルパー、カウンセラー、コーディネーター、ファシリテーターこれらを統合したもんなんですけど…。

とりあえず、塩見さんの本に載せてもらった時の肩書、
「プランナー」っていうことでいきまひょか…。

でもそれだけでは面白くないので
頭に「半農」を持ってきて
「半農半プランナー」にしました。


     肩書きも名刺もなくて蝉の国

     今日からは私は私と蝉の鳴く

     朝の蝉恐る恐ると鳴き始め

     蝉の声いのちの洞に共鳴す    基風

      

2009年7月22日水曜日

ほっかむり


田んぼ行ってきました。
稲さんたちすっかり大きくなって
出穂している稲さんもいました。

いよいよ一番しんどいところです。
素手でコナギ、マツバイ連合軍に立ち向かいます。

ぱっと見は思ったより生えていなくて安心しました。
しかし近づいてみるとコナギさんの小さな双葉が一杯…。

中腰で田んぼに這いつくばって作業開始。
天候は曇り。

この秋は雨か風かは知らねどもきょうのつとめの田草取るなり(二宮尊徳)

そう、つとめなのです。
秋の収穫のためにコナギさんやマツバイさんには悪いけど
抜かしてもらいます。
約1000株のイネさん。
一株、二株、三株…。
根本に手を入れて…
おっと、膝上まで伸びたイネさんの葉先が頬を刺します。

どうすればいいのか?
そう、「ほっかむり」です。
田舎のおじさんたちがほっかむりをする理由がわかったのです。

これで大丈夫。
「見る田んぼ」と「する田んぼ」
体感の面積が全く違います。

一往復するのに4,50分かかります。
イネさんの周囲に生えたコナギやマツバイを取り除きます。
ちょうど一株一株肩を揉んでいくような感じです。

雑草も生きるのに必死です。
自身の生命線である土を離しませんので
イネさんの根っこは硬くなっています。

そこに手を入れて揉むようにすると
「ああー、楽になった!」というイネさんの声が聞こえてきます。

おかげで、こっちの手は握力がだんだん無くなり
爪の先に泥が入り痛くなります。
(でも、泥のおかげで掌はつやつやしてきます。
泥パックの効能がわかります。)

要するに、やってみてわかることが一杯あります。
田んぼに感謝、イネさんに感謝です。

コナギさん、マツバイさん、ごめんなさい。


     田草取り腰の痛さと引き換へに

     田草取り腰を伸ばせば天の風

     田草取り我もいのちの一員に

     田草取りありがとさんとごめんなさい   基風

2009年7月19日日曜日

涙なんか

   「道」 (詩・相田みつを)

  長い人生にはなあ

  どんなに避けようとしても

  どうしても通らなければ

  ならぬ道というものが

  あるんだな

  そんなときはその道を

  黙って歩くことだな

  愚痴や弱音を

  吐かないでな

  黙って歩くんだよ

  ただ黙って

  涙なんか見せちゃダメだぜ

  そうしてなあ

  そのときなんだよ

  人間としての

  いのちの根が

  ふかくなるのは


塩見直紀さんが毎日携帯にミッションサポート系の言葉を送ってくれます。
http://plaza.rakuten.co.jp/simpleandmission/3003


本日は相田みつおさんの詩でした。

有難うございました!



     戻り梅雨戻らぬ人に会ひに行く

     遺された物を並べて戻り梅雨

     いつまでも泣いておられず夜の雷

     はたた神叱責するもの多すぎて

     はたた神叱り飛ばして飛ばされて     基風

    
      
    

      

蝉が鳴き出した。

思い出す句

   初蝉や父終章を生きて居り   基風

いつ作ったのだろうか?
信濃俳句通信を紐解く…。

2004年7月作だったんだ。
2年後の2006年9月23日に父は逝く。

2003年1月22日に梗塞で倒れて
右上半身の不随と失語症。

人生が物語ならそれからの3年半は父の最終章だった。
活動的なそれまでの展開とは全く違う章となった。

母は自宅介護の道を選択した。
介護サービスを組み合わせて
何とか頑張っていた。

2006年の夏は特に暑かった。
何度か体調を崩しかけたが
その夏は乗り切った。

そして秋の彼岸の中日に逝った。

もう少し長引けは母ももたなかっただろう。

絶妙のタイミングだった。


     初蝉や何万回も鳴くつもり

     初蝉や思い出すこと父のこと

     蝉の身になれば五月蠅いとは言えず

     初蝉や生きるいのちの元ぢから       基風


それにしても、父は今頃どこで何をしているんだろ…。
じっとしていないことは確かだが…


     

2009年7月18日土曜日

ゴルフ

石川遼。
全英オープン出場。

凄いね。
ゴルフだけじゃない、人間としてトータルな凄さがある。

小さい頃から
お父さんが教えた。

お父さんも凄い人なんだろうね。

マイファーザーも良く教えてくれた。

庭に芝生を植えて
暇さえあれば
アプローチの練習をしていた。

ゴルフは習慣のスポーツ
練習しなければ
スィング、ボディバランス、距離感など身につかない。

だからゴルフはやらない。

いい結果をだすために
費やす時間とお金が半端じゃない。

遼君に任せた。


      梅雨明けや父の遺した芝を刈る

      梅雨明けや父の教えを反芻す

      結局は父のやり方梅雨明くる

      父の声思い出してる夏の庭      基風




     

2009年7月16日木曜日

祝・6年

7/15塩見直紀さんのブログが満6歳を迎えたそうな。
http://plaza.rakuten.co.jp/simpleandmission/
すごいですねー。

ほとんど毎日。

更新の内容が凄い。
わたしらとは濃さがちゃう。

どれだけ、本を読んでおられるのか?
どれだけ、思索しておられるのか?
どれだけ、神経を研ぎ澄まされているのか?

見習いたいものである。

ほんとに人気ブログになりはりました。

2003年の7月15日だから、その14日後の29日に
私があやべ里山ねっとのサイトにアクセスしたことになる。

ブログオープンとほぼ同時期だったんですね。
吸い寄せられたみたいですね。

これからも、コンセプト・フォー・X。
時代を切り開くキーワードお願いします。



      腹割って話す友来てうなぎ飯

      始まりはいつの頃やらうなぎ飯

      遡る記憶薄れてうなぎ飯
   
      妻に乞ふ鰻食べたし死ぬる前    基風


    

2009年7月13日月曜日

LLP


リミテッド・ライアビリティ・パートナーシップ
(Limited Liability Partnership; LLP)
有限責任事業組合

営利目的で起業を行う時
株式会社という選択しかないのではなく
小資本でも志を同じくする人たちが集まって
事業を展開することができる。

こんな形態もあるんですねぇ。

NPOもいいのだけど
寄付という文化が根付いていない日本では
なかなか難しいような気がする。

寄付や補助を受けることで
与える方が上で受ける方が下という位置関係が
成り立ってしまう。

LLPは少額な出資で経営に携われる。
問題はいかに自分やりたいことを明確にして
賛同者を得られるかということである。

「志」が問われるのである。

2年前ほど前にこう言う形態もありますよって
パソナのSさんから教えてもらった。

「出資額以上の責任は問われない」というところだけ見て
「ええやないの?」と思ったけど

自分のちっぽけな「志」では何ともならんし
同志もおらんわな・・・。

とあきらめた。

すると、不思議なもんで向こうからやってくるんですね筏が!

塩見さんの田んぼの同志であるKさんが
「今度、プチセミナーの講師をやるんです。」
とおっしゃるので出かけてみると…
そこがLLPの会合だったんです。

LLP「協創」http://kyosou.jp/

いやー、いてはるんですね。
凄い人たちが…。



     大淀に魚の跳ねて梅雨明くる   

     昨日とは違う煌めき梅雨明くる

     いざ行かむビルの山脈淀の夏 

     ビルの山軽々越へて淀の夏   基風



    

2009年7月11日土曜日

ゾーン

淀川大橋
神崎橋

夜、川を渡る。

ちょうど真ん中あたりに
そのゾーンはある。

時の真空地帯のようなもの。

行ってみたらわかる。

============

川の流れのように 秋元康作詞・見岳章作曲

知らず知らず 歩いてきた
細く長い この道振り返れば 
遥か遠く故郷(ふるさと)が見える

でこぼこ道や 曲がりくねった道
地図さえない それもまた人生

ああ 川の流れのように 
ゆるやかにいくつも 時代は過ぎて
ああ 川の流れのように 
とめどなく空が黄昏(たそがれ)に 染まるだけ

生きることは 旅すること
終わりのない この道
愛する人 そばに連れて
夢 探しながら雨に降られて 
ぬかるんだ道でも

いつかは また 晴れる日が来るから
ああ 川の流れのように 
おだやかにこの身を まかせていたい
ああ 川の流れのように 
移り行く季節 雪どけを待ちながら

ああ 川の流れのように 
おだやかにこの身を まかせていたい
ああ 川の流れのように 
いつまでも青いせせらぎを 聞きながら



       夏の川少し止まって見てみたら    

       夏の川向こうに見えるビルの峰

       夏の川言うは易く行ふは難し

       夏の川むくむく流れその昔
 
       夏の川流れ始めはいつやろか      基風
   

2009年7月8日水曜日

訓練のための時間

プラスとマイナスがあって
それが混ざり合ってより高いプラスになる。
そのためには訓練がいる…。

そこまではわかった。

さらに考えていくと、、、

訓練のためには時間がいる。
いいかえると向上するには時間が要る
そうか!だから、人生があるんだね!

関学の校訓は「Mastary for service(奉仕のための熟達)
BREAKERSのモットーは「健康、交流、向上」
父の教え「生きる命のもとぢから」

答えは与えられている。

自分与えられた時間を精いっぱい生きる。
これしかないんですね。

   
     残された大切な時送り梅雨

     送り梅雨父は娘を許し居り

     送り梅雨娘の電話話し中

     送り梅雨娘に任す時となり    基風
     

     

     

     

2009年7月7日火曜日

矛盾を退治?

「走る」と「止まる」
一見反対の行動だが…。

「止まる」ことができて「走る」ことができる。

新幹線はブレーキの技術が確率されたのち実用化された。

互いに正反対の走と止が、同じ共通の[走]に対して協力し、それぞれの役割を全機させて、はじめて[走]ることができる。

走と止二つの正反対が合わさって、一つになる時
走でもなく止でもない状態
走でもあり止でもある状態

そこに「自在」がある。

だから、矛盾は困ったことではない
成長のための機会だと思えばいい。

入り身ですな。
すっと相手の打ちかかろうとする気に対して反応する。

頭では分かっても具現は難しい
バランスとコントロールを身につけるためには
訓練がいる。

ああ、また矛盾が…。(笑)

もう寝ましょ(笑)



      図書館へサンダル履きに半ズボン    基風


   

2009年7月6日月曜日

矛盾を活かす

父の残した本は多かったが
その中で、一冊だけ
全ページをコピーして紐で綴じた本がある。

なぜそうしたのかわからない。
図書館で借りて読んだが
あまりにもいい本だったので
全編コピーして手元に置いておきたかったのだろうか?
誰かにもらったのだろうか?

今となってはわからない。

「矛盾を活かす超発想法」
ロボット博士で有名な森政弘さんの本である。

父はこの本に赤鉛筆で線を入れ読んでいる。
父が大切だと感じた部分。
=父が言いたかったこと。=父の教え

脳梗塞による失語症で
遺言めいた言葉はまったくなかった。

赤い線の部分が父の教えだと思って
この本を読もう。


    梅雨の闇盾と矛との鬩ぎ合ひ    

    梅雨の闇父の足跡赤い線 

    梅雨闇西即東自即他 

    梅雨の闇そろそろ雨戸開けませう   基風