自己紹介

自分の写真
住民代理店BOB(Break Occupied Barier)代表。自転車で俳諧するおっさん。ミッションは誰かさんを輝かすこと。

2008年7月31日木曜日

NHK障害福祉賞

http://www.npwo.or.jp/info/2008/43nhk.html

第2部門に応募しました。

まんぼうとの出会いから
今日までを文にしました。

未発表の作品に限るとのことなので
内容はまだお知らせできません。

時期が来たらこのブログに
転記します。

8000字以内が条件でしたので
そんな長文を綴れるか不安でしたが

それなりのボリュームになりました。
自分でもびっくりしてます。

毎日、このブログに書くことで
少しは文章力がついたかな?
ありがたや、ありがたや。



     富士詣で山頂の風持ち帰る     基風


             

2008年7月30日水曜日

偶然?

この頃偶然知人に会うケースが多い。

まずKさん。
この人には会社を辞めたことを伝えていなかった。
それを神様はご存知で合わせてくれたのかな?

そしたら1週間で2回も。続けて…。
2回目は「会うとなったらよく会いますね」
3回目は「へー何で?何かあるんやろか?」

そして今日はM君
彼には約束していることがありそれをまだ果たしていなかった。
ふーん、こういう風に神様は配慮下さるのか…。

逃げられんな…。



     網棚に忘れ物あり夏帽子   基風



     

2008年7月28日月曜日

クライマーズ・ハイ

映画「クライマーズ・ハイ」。
見ました。

日航機ジャンボ機墜落。
群馬県の地方新聞社の記者が主人公。

あの日、8月12日のことが刻々と再現される。
原作者の横山秀夫氏は上毛新聞の元記者。
原作を読んでいたので、小説をどのように映画にするのか
興味があった。

実際の事故の経過を追いながら
主人公と子供の時系列と
主人公と母の時系列が
織り込まれるので
原作を読まずに見た人は
戸惑ったのではないだろうか?

地方新聞社の雰囲気がよく描けてた。
私の新入社員の頃を思い出した。

私の最初の仕事の取引先は神戸新聞社の広告局だった。
映画の舞台は編集局だったが
広告局も大部屋で整理部があって
そこに原稿を持って行くのが日課だった。

神戸新聞会館。
震災で崩壊してしまったが
毎日、広告の原稿(凸版という亜鉛の板)を抱え
さん地下タウンを通って
地下の通用口から入ると
インクのにおいが漂っていた。

映画を見ていたらその匂いを思い出した。

1985年。あれから23年も経った…。
520名の死者の中にD社の6人も含まれる。
彼らの無念さを忘れてはいけない。



       朝の蝉喧しいけど許したろ   基風


         

2008年7月25日金曜日

CFK

中央区フィランソロピー懇談会
略してCFK(フィランソロピーの頭文字はPだけど…)

毎月一回の会合。
今日は本町の丸紅さんの会議室が会場。

ビルの前で富士ゼロックスのOさんに会う。
本日はアロハシャツなので
受付で怪しまれるのではないかと危惧していたが
これで大丈夫。
Oさんの後をついて行く。

セキュリティ厳重。
いきなりガードマン二人が出迎える。
さすが、大商社。

次はきれいな受付嬢。
ちゃんと本日の出席者名簿を持っている。
Oさんはすんなり見つかったが
私の名前が見当たらない。

こっちから見るとちゃんと書いてあったので
これです。Hです。
「ああ、失礼しました。どうぞこれをお付け下さい」
と「Guest Marubeni」と書いた札をもらう。

この雰囲気ひさしぶりだなあ。

17階、素晴らしい眺望の会議室。
もと、役員室のエントランスだったそうだ。
天井高けぇ。
舟型のでかい会議机。ゆったりしたイス。
30人ぐらいが悠に座れる。

D社の11階中会議室に似ている。

CFKでは企業が地元コミュニティといい関係を築くための方策を話し合う。

まんぼうもメンバーに入っているので
毎回出席。
退職とともに企業の人と話をする機会なんてないと思っていたけど
ロート製薬、富士ゼロックス、丸紅、商工信金などのCSR担当者と
机を並べる。

D社でもCSR部門はあったが東京本社にあって
大阪にはなかった。
やりたい仕事だったが叶わなかった。

不思議なご縁である。

会議終了後、近くの産創館というビルの最上階レストランで懇親会。
天神祭の花火が見れるとのこと。

宴もたけなわ、暗くなって花火が上がりだした。
夜空に高く上がる花火を想像していたが
おもったより低く、遠くて期待外れだった。



     遠花火誰かそのビルどけとくれ    基風


 *丸紅は今年150周年だそうだ。
 11/28~12/25の期間中1Fのロビーで写真展やイベントを行うとのことです。


      

富士山

昨年3月まで働いていたD社には
年中行事として
その年の新入社員を富士山に登らせるイベントがある。

それが丁度この週である。
私の新入社員の時は
雨天中止となって
麓の浅間(せんげん)神社で解散となった。

みんなしんどいことをせんでよかったと喜んだ。

しかし、晩年になって人事部門に異動になった時
この行事をサポートする救護班という役回りが回ってきた。

先発して登り、7合目以上の山小屋に待機して、
200人近い本隊を先着順に山小屋に泊まらせ
仮眠させ、夜中に起こし、ご来光に向けて頂上を目指させる。
その間、体調の悪い人の世話、誘導、飲料水の手配などを行う仕事である。

結局、救護班を7年連続で担当した。
登るのは本当にしんどかったが
富士山はとてもいい教訓を私に教えてくれた。

晴れた夜空の星や月、雲、風が
宇宙の中で生きていることを実感させてくれた。
取るに足らないちっぽけな存在。
でも、生きている存在。
そして仲間としての他者の存在。

富士山は毎年霊的な気持ちを喚起させてくれた。
まさに霊峰である。

今頃は、ご来光を拝んで下山が始まっている頃だ。



      夏暁や登りて下る霊の峰    基風



           

2008年7月23日水曜日

プチ同窓会

高校時代のバスケ部の仲間と
当時顧問だった先生を囲んで
プチ同窓会。

会場は芦屋の「鮨処多田」
何でここかというと
OGがここで女将さんをやっているから。

以前から行こうと言っていたのが
今回実現した。

バスケ部の同窓会は
春に体育館を借りてバスケットボールをするのと
秋にゴルフをするという2本立てでやろうということになっている。

顧問のY先生はもう定年退職をして
年金生活だが、陶芸などを趣味に生きておられる。

保健体育の先生だったので体育会系のイメージが強いが
美大に進もうとしていたとのこと

へーそうやったんや!

と話が盛り上がった。

そこで、アイデアマンのC君が
「バスケだけではないところを披露しようやないか!
作品展やろうぜ!
先生の陶芸を中心にみんなの才能を持ち寄るんや!」

この言葉に先生を始めみんなが
やろやろ!という雰囲気になった。

高校の同窓会会館を借りきってやったらとか
バスケ部だけではなくみんなに呼びよとか
話が膨らんでいく。

それで、誰が世話をすんねん?
と言いながら私のほうを見る。

「昨品を集めたり、それを管理して、陳列したり
それは大変な作業でっせ」
と難色を示すと…。

I君が「ま、最初はバスケ部だけで、こじんまりとやってみて、だんだん広げていったらええんとちゃう」
と常識的なことをいう。

思いを実現するにはいろんな準備がいるのである。
そうは簡単にはできません。

でも、アイデアはとてもいいので
何とか実現させたいものです。


    夏の雲青春きっぷのポスターに  基風



      

2008年7月21日月曜日

田を渡る風

綾部。
田んぼ。
今日は一人である。
助っ人なし。

朝一番の鈍行で福知山へ。
福知山で自転車を組み立てて。
一路田んぼへ向かう。

ミニストップで弁当、焼きそば、フルーツゼリー、飲み物購入。
本日は体力の消耗が激しいと思われる。
しっかり食べておかねば。ねば、ねば。

青い空、白い雲。
緑の山、澄んだ流れ。
正統派の田舎の風景。

田んぼに近づくほどテンションが上がる。
自転車はトップスピード。
ヤッホー!

田んぼに着く。
生えてる生えてる。
コナギちゃん。

マツバイという芝生のような草も。

今年私の区画はコナギ、マツバイのダブルパンチである。
まさに地獄ゾーン。

とてももう一区画の方まで手が回りませぬ。

素手で格闘するが
2列やって
これはあかんと判断。

手に負えないという言葉の意味を実感する。

近所の里山ねっとあやべまで
草取り用のクワを借りに行く。

これなら、屈なくてもいい。

10時から3時半まで格闘。
梅雨明け後の太陽は容赦ない。
ペットボトル5本は飲んだよな。

でも、午後からは雲が少し出てきて
しばし、太陽を隠してくれる。

その時、田を渡る風。
これが本当に気持ちいい。



     青田風少年達とすれ違ふ   基風


       

2008年7月19日土曜日

1/4の奇跡

映画「1/4の奇跡~本当のことだから」
上映会と入江富美子監督の講演に行く。

フツーの主婦が映画を撮る。

凄いよなあ…。(俺にもできるやろか?出来るよなあ。きっとできる。)

養護学校の教師山元加津子さんのドキュメンタリー。

障害者(ああ、この言葉ほんまに嫌い。英語にはChallengedとかGiftedという言葉があるのに…)の持つ可能性について訴えかける秀作。

障害や病気のある人は、そういう遺伝子を引き受けてくれた人。

そのおかげで健常な人がいるということ。

だから大切にする。

私もそうしよう。まんぼうへ行って。

       初蝉やみんなでひとつ生命かな     基風

      

        


2008年7月16日水曜日

俳句と川柳

川柳で思いもよらぬ賞をいただき、
もっとちゃんと川柳に向き合わんといかんなあ…。

そもそも、俳句と川柳の違いってどういうことなんだろ?

WEB川柳博物館には…、

<形式的違い>

・俳句には、<季語>が必用ですが、川柳では特にこだわりません。

・俳句には、<切れ字>が必用ですが、川柳では特にこだわりません。

・俳句は、主に<文語>表現ですが、川柳は<口語>が普通です。

<内容的違い>

・俳句は、主に自然を対象に詠むことが中心でですが、川柳では、人事 を対象に切り取ることが中心です。俳句では、詠嘆が作句のもとになり 「詠む」といいますが、川柳では、詠ずるのではなく「吐く」「ものす」な どといいます。決して、詠ずるものではありません。

吐くかぁ…。

本音を吐くっていうもんなぁ…。

私の解釈。

ものごとには前後左右表裏がある。

表から見ると俳句。裏から見ると川柳。

前から見ると俳句。後ろから見ると川柳。

右から見ると俳句。左から見ると川柳。

またその逆もある。

てなところでしょうか?



    初蝉やまどろみの中鳴き出しぬ    基風

    議事堂前民意民意と蝉は鳴く     甚六

     

               

シュタイナースクール

ああ、もっと早く知っていたら…。
自分の子供はこの学校に通わせたかった!

ドイツの思想家シュタイナー博士の教育観を元にして設立。
個性尊重、自然重視の学校。京田辺市にある。

12年生(高校3年生)の卒業演劇の公演を見た。
脚本から上演まで10名のクラスメイトが協力して作り上げた。創作劇。

そんな大したものではないだろう?
予想は、見事に覆された。

脚本、配役、演技、それぞれ秀逸だった。

こんな学校が日本に存在していること自体、奇跡的。
NPO法人。学校法人としては認められないそうだ。

そらそうだ、大分県の例にあるように
子供の成長ではなく
自分たちの保身が第一になっているような
日本の教育界ではこんな学校は脅威。

大きなものに挑戦する気概と
小さなものを見守る澄んだ目。
ここにも「先端の若者たち」がいた。



      天の川自分の星を探してる     基風



          

2008年7月15日火曜日

表彰

何年振りかな?賞状なんて…。
小学校の時、書道で佳作をもらったっけ…。

昨年から「二匹目のどぜう」という川柳の会に参加しているが、
年間秀句賞の部 大賞に選ばれてしまった。

有難いことです。どなしいしましょう!
波いる先輩達を差し置いて大賞やなんて…。

ビギナーズラックもいいところです。

でも俄然やる気になったぞー。
(褒められると調子に乗るタイプ)


   うつうつと温度の上がる星に棲む  甚六


竹森雀舎先生の選評
「地球も大宇宙の中のひとつの星ですが、この地球もいま温暖化ということで関心を集めているところです。規模の大きな句として共感を呼びました。」

宿題(俳句では兼題)「上がる」に対してできた句です。
環境問題を追いかけている身として、上がる→温度→温暖化という発想です。


      褒められて心に灯る明けの星   甚六


     

2008年7月14日月曜日

若者たち

君の行く道は果てしなく遠い
だのになぜ歯をくいしばり
君は行くのかそんなにしてまで

君のあの人は今はもういない
だのになぜ何をさがして
君は行くのかあてもないのに

君の行く道は希望へと続く
空にまた日が昇るとき
若者はまた歩き始める
空にまた日が昇るとき
若者はまた歩き始める

そんな若者たちはもういないと思ってた…。

みんなことなかれ主義で
自分の好きなこと勝手にしてると思ってた…。

でも、いた。

障害者自立支援法をもとにして
各施設が将来像を探る
「ビジネスモデル研修」
兵庫県福祉センターで行われた。

名古屋や福岡、大阪などから
インストラクターとして
小規模な作業所や社会福祉法人の人達を教えに来ていた。

厚労省とも交渉を続けながら
それぞれ、自分の事業も抱えながら
資料を作成しセミナーを開いている。

うーん。すばらしい!
気概がある。
大きなものに挑戦しようとする気概。
弱いものをほっておけないという
純粋さ。

若ものたち。
そのもの…。


   
     夏木立若者たちについて行く    基風


                      

2008年7月13日日曜日

リラックス

人の前で話したり、パフォーマンスをする時
多くの人は混乱してあわてる。

そんなとき冷静になり
リラックスするためには…。

まず深呼吸。

心身統一合気道の創始者藤平光一先生によると。
1心身統一した姿勢を取る(正座、あぐら、イスなんでもOK)
2「あ」の口の形で正面に向かって、静かに吐く。
3吐くのを急に止めないで、自然に吐き切る。
4鼻先で花の匂いを嗅ぐように鼻から息を吸う。吐く時と同じように急に止めないで自然に止まるのを待つ
5自然に入ってきて自然に出て行くように繰り返す。

(花の匂いを嗅ぐように吸う・・・。ここが気に入っている。)

そして、自分の中の満点主義を捨てる。
(失敗を恐れない、何事もいい経験だと思う。)

そして「入り身」の体勢を作り
事に対峙する。

「入り身」とは「受け身」ではないことかな?
相手の気配を感じて「今!」の『い』のタイミングでで、
自分からすっと相手に入っていくこと

このタイミングは合気道をするとわかります。

リラックスとは単に力を抜くことではなく
「さあ、どっからでもかかってきなさい!」
という心の状態を作ること。



    桃の実や力を入れて持たぬやう   基風


      

2008年7月11日金曜日

ウナギ

鰻食べたい!
退職者なので高い店には行けない…。
安い店探す。

JR大阪駅の西側、
梅三小路に鰻丼と小うどんのセット850円というのを見つけた。
梅新に500円の鰻丼の店もある。
どちらも中国産やろなぁ?
贅沢言ってられん。

何でこの季節に鰻が食べたくなるのだろう?
土用の丑の日。
小さい頃「土曜」の「牛」の日に「鰻」を食べるのか謎であった。

由来は↓
http://www.unagiya.com/doyou.html

ふーん平賀源内が関与していたのか…。

この人かなり異才の人だったんやね。
日本最初のコピーライターだったそうな…。

偽装ウナギ事件、源内先生どう思っているやろ?
さぞかしゲンナイ(?)してはるやろね。
(親父ギャグですいません。)


      鰻屋の看板探すこの鼻が    甚六


     

2008年7月10日木曜日

自転車旅行

体重が増えてきたこともあり
自転車で大阪まで行く。

淀川を渡って福島区に入ったところで
地図を見てバス停のベンチに座っている外人男性

そばにはキャノンデールのツーリング車
荷物満載。

目が合った。
困っていたら何か言ってくるだろうと思った。
何も言ってこない。

こっちは自転車に乗っているので
言葉をかけるタイミングを逸した。

200mぐらい行ったところで
気に掛かるので引き返す。

Can I help you?

「オー、ペラペラ、ペラペラ」
ふんふん。

何でもこれから堺の方へ行くんだけど
情報を取りたいので大阪駅に行きたいとのこと。

You wanna to go Osaka stesion?

イエース!

Follow me!

てな感じで大阪駅まで連れて行くことに…。

途中、開店前のエスキーナに立ち寄る。
店長に無理言って、オレンジジュースを注文。

彼はオーストラリアから来て
広島からしまなみ海道、松山、尾道、神戸と野宿しながら大阪に入って
今晩は堺の友達の所にとまるとのこと。
そのあと、岐阜、長野を経て東京に向かい、
さらにベトナムからシンガポールに行き
クリスマスごろ帰国するとのこと。

メルボルン在住。58歳。母国はポーランド。
競馬情報のソフトウエアの会社を退職したばかり。

「私も退職しました。56歳だけど。」
「おー、あなたお金持ちですねー!」
「お金持ちは自転車なんか乗らないよ。彼らはベンツに乗ります」
「オー、オーストラリアでも皆さん長く働いてお金持ちになろうとしますけど、使いきれずに死んでいきまーす。」
「そうそう。いいこと言うね。まあ、ジュースでも飲みねえ。俺のおごりだよ」
「オーサンキュー。日本人親切でーす。」

大阪駅まで送る。

なんか一日、楽しい思いだった。



      旅の人見送る町に梅雨の雷    基風



          

2008年7月9日水曜日

本気

合気道をやると
心身が元気になる。

武道なのに
投げて楽しい。投げられて楽しい。

左肩がうまく回らなかったが
動くようになった。

元気になると集中力が出てくる。
いいかえると本気(ほんき)になれる。

合気→元気→本気


  本気    詩・坂村 真民

  本気になると世界が変わってくる

 自分が変わってくる変わってこなかったら

 まだ本気になっていない証拠だ

 本気な恋

 本気な仕事

 ああ 人間一度 

 こいつをつかまんことには

     蝸牛本気を出せば速いかも    基風

2008年7月6日日曜日

ASIC

綾部里山交流大学(Ayabe Stoyama Interactive College)マスターコースに参加。
昨年度スタンダードコースを履修した。
履修した学科は交流デザイン学科。
「交流デザイン」とは、森羅万象との出会いをよろこび、それぞれの天与の才、特性を活かし、次代の文化を創造すること、未来価値を創造することをいう。
交流デザイン学科では、豊かな里山の地・綾部をフィールドに、「交流デザイン」の第一人者や実践者、また同志から、講座や討論、実習などを通じ、「感性学」、「地域資源学」「価値創出学」「交流デザイン学」、「情報発信学」「綾部型学」について学ぶ。

何せ、学ぶ環境がすばらしい。
緑に囲まれた元小学校。
その道の先端を歩んでいる先生から話が聞ける。

生徒がまたいい。
真摯に学ぼうとする気持ち一杯の人達ばかり…。

今回の先生は宇根豊さん。
1950年生まれ。73年より福岡県の農業改良普及員。
78年、水田の減農薬運動を提唱。
83年、減農薬米の産直に初めて取り組み、
ダイオキシン含有除草剤を国に13年も先がけて福岡市で追放。
89年、新規参入で百姓に。
2000年福岡県庁退職。
NPO法人「農と自然の研究所」を仲間と設立。代表理事に。

「百姓」という呼び名が
行政、マスコミで差別用語に準ずる扱いになっているが
もともとは「一般の人々を」表す中国語であるということ
江戸時代は年貢を納めた農民の呼称だったこと。
農作業だけではなく、自給生活のなかでマルチな能力を蓄えていった
自由な存在であったことなどを知った。

彼は堂々と「百姓」という言葉をつかう。
誇りすら感じる。

生き物観察で
塩見さんの田んぼに出かけた
3名ずつ班になって田んぼの
端から蛙や虫を捕まえながら歩くのである。

目を凝らすと田んぼの中にはいろんな生物がうごめいている。

私はタイコウチの幼虫を見つけた。
そのほか子負い虫、子守蜘蛛、足長蜘蛛、ゲンゴロウ、チビゲンゴロウ、ヤゴ、殿さま蛙、沼カエル、ドジョウ、オタマジャクシ、草切り(バッタ)、糸トンボなどなど個性豊かな生き物がいた。

彼の唱える農学は「天地有情の農学」といって
収穫増をひたすら追い求めてきた近代農業とは一線を画すものである。

天が下、大地の上にいるすべての命あるものの気持ちを感じ取って
作物を育てる、些細な虫や雑草にも人格をもたせ、それらとの対話の中で
関わっていく・・・。

農業ど素人の私にとって
この抒情的なアプローチは、胸に迫るものがあり大変力をもらった。
それを科学的なアプローチで裏付けて行こうとする姿勢にも好感をもった。

視野が相当広がった。
俳人としても、もっと草花、昆虫、鳥などの名前を覚えようと思った。

宇根さん、そして奥様。尊い出会いに感謝です。



      都会には帰りたくないけど蛙    甚六


                

2008年7月4日金曜日

マイメディア

このブログ。

カウンターがないのでどれぐらいの人に見られているのか分からないが
プロフィールビューは 新シリーズになってから2ヶ月で185に。

えらい時代になったもんです。

稚拙な文章と、俳句(と呼べるものなのかはなはだ心許ない)ですが
気分転換にでもなれば幸いです。


メディアというのはテレビ・ラジオや新聞・雑誌など
他人事だとずっと思っていた

自分でメディアを持つことができるなんて
ちょっと前まで考えもつかんかった。

ありがたいことです。


    初蝉の鳴くを聞いたと人の声    基風

            

2008年7月3日木曜日

てっちゃん

鉄道ファンのことを
てっちゃんというのだそうだ。

私はいわゆるマニアではないが
鉄道は好きだ

こてっちゃんってとこかな?

車窓に流れる街の風景や
乗り降りする人の表情や服装を眺めるだけでも
いろんな物語が思い浮かんでは消えてゆく。

このごろ大阪の環状線に乗ることが多い
玉造、鶴橋、桃谷、寺田町、天王寺
オールド大阪ともいうべき地域がいいね。

都市開発が進まなかった地域
人がいっぱい住んではる。
立ち退き計画の時点で頓挫するわ。

難波まで東京みたいになってもた
天王寺も時間の問題か?

天王寺周辺は聖徳太子の昔から人が住んできたところ
それだけに分厚い空気が漂っているようだ。


       
      半夏生これよりアベノ天王寺    基風



     

2008年7月2日水曜日

びっくりしたなぁもう!

「この人はD社と仕事をしてるんですよ」
私は耳を疑った。

ここでその名前を聞くなんて全く予想していなかった。

「わたしD社にいました。」

「ええーっ!、部署は?」

「Tでした。誰と仕事してます」

「最近ではGさんとか」

「Gはよく知ってます。クラブ一緒でした。バスケ部。」

「他には?」

「ええっと、読み方いつも忘れるんですけど、Mと書いて・・・」

「Yですね」

「彼もよく知ってます。ジムでよく一緒になりました。」

障害者自立支援法のことを聞きに行って
D社の話になるとは全く想定外だった。

世間は狭いぜ!

びっくりして、その事務所に帽子を忘れた。(またやってしもたぁー!)



     梅雨寒の町に捜すの忘れ物    基風